てしまふ訣には行かなくなつた次第なのです。それでこの皇后が紀伊国に大嘗《オホムベ》に使ふ、柏の葉をとりに行つた帰りに宮中に新しい女性を召されたといふことを聞いて怒つて、そのまゝ今の淀川を遡つて、山城に入つて、木津川を更に遡つて行かれたといふことになつてをります。古事記と日本紀では、これ亦表現が違ひまして、日本紀は還らず、大倭葛城の故郷に帰られ、古事記の方は途中から引き返して来られたやうです。山城では珍しくも、蚕を飼つてゐる者の家に暫らく居られたことになつてゐる。これはやはり女性のさすらひの旅なのです。女の流離の物語、磐姫の場合は、たゞ威勢よい「うはなり嫉み」の物語だと思つて来ましたから、或はそれをさすらひのあはれな旅だと思ひませんけれども、やはり貴種流離の要素は持つてゐるのです。
ずつとさがりまして、天武天皇の時にちようど似た立ち場の皇女が二人、見えてゐます。一人は、大伯皇女。大津皇子といふ男性の兄弟が殺されたのでその墓へ行かれました。その道の叙述は、万葉では飛び/\に僅かの歌で述べるのですから道の叙述は分りませんが、恰も道の旅を考へることが出来るやうになつてをります。それと同じやうな
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