位置の十市皇女といふ方は、自分の夫である所の弘文天皇崩御の後に、伊勢斎宮に参られる、その途で名高い「河上《かはのへ》の五百箇磐群」の歌が――御自分の作ではないが――出来ます。その刀自の自発的に作つた歌と言ふことになつてゐますが、万葉の、誰某の作だとか言ふ意味は、いろ/\考へて見なければならない問題だと思ひますが、まあさういふ風に書いてをります。これも女の旅なんです。さうしてこの方には、更に都に帰つて宮中で俄かに死なれたといふやうな、小説的に考へれば小説的にも考へられ、そんな風に考へるのがいけないと言へば、もつと平凡にも考へられるやうな死に方をしてをられます。貴い女性がさういふ風に旅にさすらふといふ話を、沢山集めれば集められるのです。男ばかりが旅をしてゐるわけではない。女の人も旅をしてゐる。併しそれはずつと後世の事とする考へ方がある。日本の女の人はどこにも出ない。家をも出ないと考へて来てゐる。平安朝時代の貴族の女性は、自分のゐる室すらも出ないものとなつてゐる。さういふ生活が続いてをりますから、男兄弟と女姉妹とは他人見たいで、顔を見たら、女と男だから恋愛の心が起つたりする。だから平安時代の
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