区画が見えるから、伊良虞崎のことだらうと云ふ人も多いが、いや伊良虞崎に向つて行く途中にある神島といふ島だらうといふ説があります。――私も実は其説ですが、そこに麻績王が流されたことになつてゐる。例の通り万葉集に出てゐるから、その歌だけで、その地から伝つて来たものと云ふことも考へられるでせうけれども、これはもつと材料があります。天武天皇紀には、麻績王は因幡へ流され、麻績王の二人の子供は九州の血鹿島と伊豆の島の二つの島へ流されたといふ風に書いてございます。これはいつも註釈本に引用することですから、新しく申すのも恥しい位のことです。所が常陸風土記にも御承知の通り、行方郡の板来で、あの事実は、自分の所の歴史だとしてをります。此は後の出島の潮来であつた訣です。万葉では伊良虞の島といつてゐる。常陸国では板来だといふ。因幡説でも、やはり別のいたこ・いらこがあつたのでせう。
因幡国の一地方で伝へてゐたのか、或は宮廷などの資料がさふ言う形で残つてをつたのか、謂はゞ、日本紀系統ではさう伝へた訣ですが、さういふやうになるともう訣りません。実際は、初めから訣らないのでせう。日本紀が正しいと言ふのは、以前の学者な
前へ
次へ
全30ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング