さう言ふことになると、どちらが何といふことはないと思ひますけれども、日本紀でもすでにさうなので、万葉は歌謡の集成本だから信じない。これは国史だから編纂の動機が、もつと確実だ。さういふ、昔からの学問の態度は、いつまでも続いてゐるのに不思議はない。けれども大体さういふ風な考へ方で、史実の形をとつたものは眺められて来てゐるのです。万葉の方では、前にも言つた、天平十年説なのです。さういふ考へ方をする人も、続日本紀を見ると、こちらの方が本たうだと言ふことになる。併しこの事実は、事実に違ひないとしても、さう言ふ事実は、昔からある。それから其後にも起つて来た事柄なのです。即ち、類型的な事件であつたことでせう。決してなかつたことゝは言へないのです。
併しすでにその時万葉集が取扱つてをります歌を見ましても、石上朝臣と久米若売といふ形で、それを表はしてをります。さう言ふことを伝へるには、きまつて条件のやうなものがあつて、これ/\の事柄を伝へるには、一つの伝説の型によつて伝へようとする勢といふやうなものゝあることが考へられます。それを世間が受入れて、受入れる心は伝説的にものを考へ、扱ふ心であつた。だから伝説
前へ 次へ
全30ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング