画なのです。別に珍しい話をするわけではありません。
万葉集でも、万葉全盛時代と言ふべき、花の時代、天平十一年、万葉では十年であつたと思ひますが、十一年三月頃のことだつたと思ひますが、万葉作家としても残る石上乙麻呂が、土佐国に流されます。又相手の久米若売といふ女性は、下総国に流されます。「たをやめのまどひ」によりて、流されて行つたわけですが、その歌と言ふのが、誰にも知られてゐるのです。全体古い叙事詩は、作物の主人公か、作者自身か、さう言ふ点が、常にごつた[#「ごつた」に傍点]になつてゐるやうな形をとり易い。さう言ふ詩を誦み馴れた習ひから、「主」と「客」どころか、詩――長歌――そのものを切半して、問者答者二人分に分けたといふ風になつてしまつてます。この乙麻呂が土佐国に流されたと言ひましても、すぐさま都に召し還されて役に就いてゐるのですから、実は大したことゝも思はれませんけれども、併しそれでも、続日本紀にはつきりと書いてある。万葉集にも凡きつぱり書いてあります。けれども、どういふわけか、文学だといふので、万葉の方は信じない癖が、日本の学者にはついてゐます。万葉と続日本紀では、どちらが正しい。
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