葉の専門家は木村先生を除けば一人もをられなかつた。だから我々は何とか万葉の本道の先生を得たい。この他に更に、さう言ふ先生を得たいといふやうな欲に燃えてをりました。その望みもとう/\達することが出来ずじまひになりました。恐らく武田君も少し遅れて這入つて来たのですから、或はその木村先生につかずにしまつたかも知れません。武田君への先生の伝統、これは、万葉学では、大事の事ですから、よく調べておきます。我々二人は万葉をば専門にして来たけれども、万葉の学者としては非常に不幸で、本筋の万葉学の伝統には、若い時代には、触れてをらないといふことにならうかと思ひます。木村正辞先生をある点まで無視したやうな話で、誠に申し訳ない事になりますが、――そんな有様なのでした。肝腎の国学院がそれですから、まあ世間の万葉学といふものも、筋を考へる段になると、大体おしはかることが出来ます。その後、明治三十年代を通つて、四十年代に入ると、世の中に、万葉学が非常に進んで参りました。
一つは正岡子規の門流の万葉ぶりの歌の方に、力が増して来まして、――万葉文学の本流と申しますか、そちらから非常に潮が満ちて来ました。それから戦争時
前へ 次へ
全30ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング