真間の手児奈、まう一つは、摂津の蘆[#(ノ)]屋の海岸にをつた女ですから、蘆屋の菟会《ウナヒ》(うなひ[#「うなひ」に傍点]は海岸の義)処女と言ふのですが、この二人のことは幾通りかの長歌、短歌になつて伝はつてをります。その他では、万葉集の巻十六にあります桜[#(ノ)]児、鬘[#(ノ)]児といふ女が、やはり男の競争者を避けて山に入つて木からさがつて死ぬ。或は死場所を求めて池へはまつて死んでしまふといふやうな死に方をしたことを伝へてをります。さう言ふのが非常に沢山あるわけです。さう言ふ木や水で死ぬのは、躰を傷け、血を落《アヤ》さぬ死に方で、禁忌を犯さぬ自殺法なのです。我々はこれは簡単に今まで考へてをります。日本の古代女性には、其職掌上、結婚を避ける女があつた。日本の女のすべてが、必ずしもこの世で結婚するために生れて来てゐない。結婚よりももつと先の条件があるのです。何であるかといふと、神に仕へるのです。人間として、人間の女としては神に仕へることが先決問題で、その次に結婚問題が起つて来る。だから一番優れた女の為事といふものは、神に仕へることである。かう考へてをつたことは事実でせう。事実といふよ
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