りさう考へてをつた人達が、昔はをつたといふことをば、後の人々も、多く信じてゐる。さう考へてゐるから、つまり沢山の美しい処女達が死んで行くといふ伝へを継承してをつた。で、真間の手児奈の歌でも、或は蘆屋の菟会処女の歌でも幾通りもありますが、並べて見ますと、作者にもよりませうし、或はそれの出来た時代もありませうし、やはり表現がいろ/\違ひます。真間の手児奈の歌でも、「古に在りけむ人の しづはたの帯解き交《カ》へて、廬屋《フセヤ》立て 妻問ひしけむ云々」といふやうな言葉があるのを見ると、これは真間の手児奈がすでに男性を持つたといふことを、表してゐるやうに思はれる。真間の手児奈は、男を持たないで死んだ処女だとばかり従来は解して来たけれども、「昔をつた人が倭文《シドリ》の帯を解き交換して、そこに迎へるために、婚舎としての廬屋を立てて妻問ひした」といふやうなことが歌つてあるのですと、これはどうも、この表現の仕方は結婚したといふことになる。さうするとどうも、すつかり異なる範疇に属するものと見て来た、安房のすゑ[#「すゑ」に傍点]の珠名に近づいてゐる。他のものは皆さうではない。中に非常に民謡的なものがあ
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