門父――を失つた東京劇壇では、彼の上に其幻影を感じて、其身替りに据ゑかけてゐた我童が、姉と同じ病気になつた。その第十一代目仁左衛門の気随気まゝと思はれた生活も、一つは思ひつめない為、随時発散を心がけての気まぐれだつたことを思ふと、其一生に理会がつく。我当は大阪の低い知識の導くまゝに、大和桜井から一里も奥の城島《シキシマ》村まで行つて、「忍阪内ノ陵」――舒明天皇陵――に参つて家兄の平癒を祈つてゐる。だから、私にとつては、仁左衛門について書く方が、当らずとも遠くない見当には這入るのである。毎日新聞と朝日新聞とが、大阪中の家庭を両分して、ひいき争ひをくり返させて居た時代である。鴈治郎・仁左衛門なども、其安易な白石・黒石に立てられたゞけである。だけだ[#「だけだ」に傍点]と言へば、其までゝあるが、我々大阪で若い時を過した者にとつては、だけだ[#「だけだ」に傍点]ではすまないものがある。
日清戦争当時、何を見て過したか、殆、払拭せられた碁盤の面のやうに記憶の痕もなくなつてゐる。ところが唯一つ、花道から走つて出た若い将校の身辺で、幾つかの煙硝火が発火する。今から思へば、舞台に幾筋かの糸が張つてあ
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