柄ではなかつた。寧、勤めなかつたから、その柄が出来てゐなかつたといふ方が当つてゐる。璃※[#「王+王」、第4水準2−80−64]などでも今では、喜多村氏などが、神様見たいに言ふが、――さう言つて、あの不幸な達人を伝へてやつてくれることはあり難いが、――やはり浜芝居の座頭か、書き出しで、長い腕を磨いて来たので、大芝居の座頭の相談役には此以上の人はないが、芸格は低かつたと思ふ。時蔵と似た輪廓だが、長い座頭の経験が、斎入の顔に、芝居の長者らしい品格を置いてゐた。まことに大阪の芝居錦絵――その物は、美しさの真の準拠とはならぬが――をそのまゝの顔姿であつた。だから大阪の錦絵の持つよさ――と言ふより醜さ――が、そのまゝ彼の舞台姿に出てゐた。月郊さんは、芝居擁護者としての伝統に列つた人だが、あの人一代だけは、どうも東京歌舞妓のよさが、喰ひこんで来て居る。あの人の作や評には、凡心服してゐるが、斎入の容貌評については甘心する事が出来ない。六郎先生などに聞いて、高安家の正しい判断を知りたいと思うてゐる。
我童は、前に姉を失つてゐる。此人も、井戸か何かに這入つて死んでゐる。そこへ、先々代家橘――先代羽左衛
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