葉がついてゐた。此右団治が役変替を言ひ出したことから、我童狂死、我童びいきの東京の車屋が下阪して、右団治をつけねらつて居ると言つた様な噂まで耳に残つて居る。どこまでが記憶で、何処からが知識のつけ足しやら、今日になつては、甚心もとない。其より少し前、鴈治郎弄花事件と言ふやうな警察事故が起つて、縫物屋通ひの娘たちを驚倒させた。角の芝居と朝日座との間に後、石川呉服店となつた同じ家で、役者の写真を売つて居た。蔀戸をあげ、障子囲ひにした店床を卸した落ちついた家で、手札型の台紙にはつた舞台姿や、豆写真を張りつけた糸巻などが、そこの商品であつた。町々の縫物子が、其を買うては、護り魂のやうに秘めて居たものである。さう言ふ鴈治郎びいきの娘たちが、どんなにかたみ[#「かたみ」に傍点]狭く案じ暮したことだらうと思ふと、昔のあほらしい程ののどかさ[#「のどかさ」に傍点]に笑ひがこみあげて来る。
誰の芝居よりも、右団治一座の狂言によくなじんで居た。此人は、鴈治郎と一座する事が尠く、我当を書き出しに、座頭を勤めたことが続いて後、きつぱり座頭渡しの式をして、我当を押し出した。此は折り目正しい為方だと、今から見れば、
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