る。第二次的のものになると、一番単純に見える終止形から始つたとは思はれぬのである。動詞の語尾の起源は、ウ列の語尾をいくら研究して見ても訣らぬことであつて、もつと活用全体に通じて考へる必要がある。
其為、昔の誤つた説を以て、まう一度吟味して見ようと思ふ。部分としては認められても、全体では棄てねばならぬ説であるが、動詞は名詞の形を通つて活用して来るとする説である。例を挙げて言へば、ながめる[#「ながめる」に傍線]と言ふ言葉には、同音で違つた成立を持つ物が幾つかある。即、同音異義の言葉がある。其うち平安朝に専使はれてゐるものに、男と女が逢へないで憂鬱な気持でゐる意味に使つた、「ながめ」と言ふのがある。ながめ[#「ながめ」に傍線]には尚遠くの物を見る眺めと、溜息声を出して諷ふ場合がある。かういふ似た言葉の意義をも、少しづゝ兼ねて居るやうである。此ながめ[#「ながめ」に傍線]は、従来否定して来た説に這入つて来る。性欲的に憂鬱になつてゐる、或は恋愛上のもの思ひしてゐる場合に使つて居る。景行天皇記に、「恒に長目を経しめ、また婚《メ》しもせずて、物思はしめ給ひき(古訓)」と書いてある。め[#「め」に傍線]は男と女が逢ふことで、其が名詞的の感覚を強める様になつてからは、妻《メ》になつて来る。「ながめを経しめ」は逢ふことの久しい事であるから、夫婦の語らひをばしない、と言ふ意味である。此ながめ[#「ながめ」に傍線]が、ながむ[#「ながむ」に傍線]の語根である。正しいに違ひないが、これまで否定して来たのである。一度名詞の形をとつたものが動詞的に働いて来ると言ふことは、誤りだとして来たのであるが、併しこれは考へに入れる必要がある。ながめ[#「ながめ」に傍線]をふ[#「ふ」に傍線](経)或はへ[#「へ」に傍線]と言ふ観念の引き続きを持つたのである。ながめ[#「ながめ」に傍線]から直ちに活用を起すのでなく、ながめ[#「ながめ」に傍線]をへ[#「へ」に傍線]或はふ[#「ふ」に傍線]といふ形を漠然と意識して居るその中に、ながむ[#「ながむ」に傍線]が出て来るのである。即、形の上でながめる[#「ながめる」に傍線]が融合して出来たのではないが、一聯の心理がある訣である。みたまのふゆ祭り[#「みたまのふゆ祭り」に傍線]からふゆ[#「ふゆ」に傍線]を独立させて来るのと同じ状態である。さうして、動詞の語尾の発
前へ 次へ
全16ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング