を作る場合には、殆例外もなくほ[#「ほ」に傍線]と言ふ。ほ[#「ほ」に傍線]はふ[#「ふ」に傍線]と殆一つ音である。う[#「う」に傍線]とお[#「お」に傍線]は近いが、ほ[#「ほ」に傍線]・ふ[#「ふ」に傍線]は更に近い。単なる音韻変化では済まされぬ訣である。かういふ事実があつて、無意識ながら意識を起して来て、其規則を宛てはめて来るから、恰《あたかも》、音韻変化と言ふ考へに這入つて来るのである。此が第二段の熟語法で、名詞的な語尾の屈折と言ふことになつて来る。つまり、用言は独立的に屈折を起すが体言の屈折は下に続いて行くべき主部がある。此は、体言・用言を考へる上の大事なことである。
次に起つて来ることは、我々が音韻変化だと考へてゐる現象で、最目に立ち易いのは、熟語を作る時に修飾部の語根が、ア列の音に屈折するものである。即、修飾の主部がア列の屈折韻になる場合である。すがゞさ[#「すがゞさ」に傍線]などの例である。此には、我々が独立した名詞だと思つて居るもので、熟語の主部を脱落させて居るのが多い。白髪《シラガ》は、け[#「け」に傍線]がか[#「か」に傍線]に屈折したと言ふ事が略《ほぼ》考へられる。併し、毛のか[#「か」に傍線]は上にあつて修飾する場合は訣るが、下にある場合に何故か[#「か」に傍線]になるのか。白毛の髪の意味であるから、此下にまう一つ熟語の主部がなければならない筈である。親はおゆ[#「おゆ」に傍線](老)から出たものに違ひなく、動詞のおゆ[#「おゆ」に傍線]か、動詞以前の語根おゆ[#「おゆ」に傍線]とでも言ふやうな言葉から出て居ると思ふ。「老いびと」とでも言ふ言葉が、下に予期出来るのである。ひと[#「ひと」に傍線]と言はなくても、これを暗示してゐるのである。其が、さう言ふ語を引き離しても理会がゆく様になつたもので、其が屈折したのである。おゆ[#「おゆ」に傍線]は年よつて居る、年長だ、と言ふことに過ぎぬ。年長者が家を切り廻して居るのであるから、古代に於いては、主に女性で、古代のおや[#「おや」に傍線]は母権時代にあつてははゝ[#「はゝ」に傍線]である。後には男を言ふことになつた。昔ははゝ[#「はゝ」に傍線]を祖と書いてゐる。祖の字は祖先の場合に宛てる事もあるが、多く母親の意味である。御祖神も其処に意義がある。
縄は、元、なふ[#「なふ」に傍線]と言ふ言葉から出た
前へ
次へ
全16ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング