津媛を殺したのも、月はまれびと[#「まれびと」に傍線]だからだ。
すさのを[#「すさのを」に傍線]の場合は、阿波に下つたのだ。
保食神が、牲をつき[#「つき」に傍線]の血でけがしたのだらう。
安殿皇子の平城帝も、あで[#「あで」に傍線]でなく、やすみどの[#「やすみどの」に傍線]の皇子として、御湯殿に対する名の最後らしい。
「やす」といふ語根は、神の降り留る義で、八十といふ語には、その聯想が伴ふのである。其から、神事の人々の数を数へるのに使ふ。崇神紀の八十伴緒・八十物部・八十神などが古い。神の来てゐる間の、接待者の状態を言ふ様になつては、痩すとなり、やせうから[#「やせうから」に傍線]の転のせがれ[#「せがれ」に傍線]が、やつがれ[#「やつがれ」に傍線]とも、せがれ[#「せがれ」に傍線]ともなる。
八瀬の里人は、このやせ[#「やせ」に傍線]の語意から考へられたらしい。地方神事に「おやせ」といふのが出るのも、此だ。やつる[#「やつる」に傍線]・やつす[#「やつす」に傍線]のやつ[#「やつ」に傍線]も、此転音である。やつこ[#「やつこ」に傍線]も、家つ子と言ふより、此やす子かも知れぬ。痩男
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