く、皇子尊の新婚の褄屋の歌であらう。
業平の歌の「まだきも月のかくるゝか」にも、此風は廃れても、宴会の正座の人の床入りには、月を以て祝する風を、伝へてゐたのである。
「国栄えむと月は照るらし」も、転じて、殿ほぎに月を出したので、此夜は、主上・高級巫女同床せられるのだ。此日寓る御子を、神の子として、日つぎの御子の一人とせられるのだ。
殿は、安殿《ヤスミドノ》である。此日の行事を、神として、神女と、「やすみ(しゝ)せす」といふ。神事の最上であつて、神として、地上に暫し止りたまふ義である。平安朝の御息所は、御子を生んだ為、みやすみ所に侍り得るものとしたのだ。安殿は、寝殿即正殿である。後に清涼殿が、其となつた。
寝ることのやすむ[#「やすむ」に傍線]は、だから、およる[#「およる」に傍線]などの古い時代から残つたのだ。「安寝」は条件として、同床がある。安見子は、采女の名でなく、古くから、御息所の素地が出来てゐたことを示す語で、天子の、一度倖せられた女子を言うたのだ。村上の中宮を安子といふのは、既に「やすむ」の語義を忘れた為か、或は普通名詞の「やすみ」子を、中宮にも用ゐてゐたのか。
月読命の大食
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