見なして、月一度、槻の斎屋に籠らしたのだ。
神まつる屋は、すべて槻その他の木の下に作つた。こゝに月経の日を仕へるのを忘れて、月経の日に、忌みに籠る屋の様に考へたのだ。
月のはじめは、高級巫女の「つきのもの」の見えた日を以てした。月の発つ日で、同時に此が「つきたち」である。神の来る日が、元旦であり、縮つては、朔日であると考へた。
「はしり出」は、はしり[#「はしり」に傍線]出居で、戸を全部閉ぢた様にした、出居である。神迎へに出居る屋で、其上には、槻の木があつたのだ。昔の歌に、槻の歌の多いのは、槻屋の印象である。
 「はなち出」は、戸ざしのない出居である。
「月読めばいまだ宵なり」・「この月ばかり」など、つき[#「つき」に傍線]といふ語には、聯想が多かつたのである。「月たちてまだ三日月の眉根かき」なども、三日月眉をいふのは、後世の技巧で、下には、古い修辞法「月経の日からまだ三日」といふ義を含んで、「眉根かき」が利くのだ。
「天ゆく月を綱にさし」も、月の蓋の外に、巫女の月ごもりなるものを、此新室の葛根もてする如く徴《サ》して、おのが者として、かづき臥し給ふといふので、床入り際の歌である。恐ら
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