為にも、ある期間魂牀を据ゑ、枕も其儘にして置くのも、遠旅にある人の生御魂の家に残つて居る考へと一つである。
神今食・新嘗祭などに先立つて、坂枕や御衾を具へて、神座の上に寝処を設ける式を、皇祖が主上と相共に贄をおあがりになるのだと言ふ風に見る人が多い。けれどもやはり、一つの御魂ふり[#「御魂ふり」に傍線]の様式で、天子のみ魂ふり[#「み魂ふり」に傍線]であつた。かう言ふ風に、魂の離合は極めて自由なものと考へられて居り、一部の魂は肉身に従はないで、去留するものとし、又更に、分離した魂が、めい/\ある姿を持つこともあると考へて居た。此が荒魂が更に荒魂を持つ所以である。だから、游離魂の信仰は言ふまでもなく、離魂病のため同じ人の二つの姿を現ずる様な事も、必しも輸入とばかりはきめられなくなるのである。七人将門の伝説などは、此系統に入るべきものである。単に、肉身の復活を悲願に繋けて説く飜訳種、とはかたづけて了はれぬ。
思へば、餓鬼は幽霊の前身なのである。だから、実体のないはずの者だのに、古来の魂魄観が、幽霊の末に到るまで、見えもし見えずもあると言つた、中途半端な姿にして了うた。
さて餓鬼阿弥の場合、第一章では、肉身を欲する魂魄を以て説いたが、其上にたましひ[#「たましひ」に傍線]の放散した後、本身の魂への魂ふり[#「魂ふり」に傍線]に、頗長い期間を要した蘇生者に対する経験が加はり、又謂はうなら、かげの身[#「かげの身」に傍線]が本身と合体する径路も、根柢に含まれて居ると見られよう。此と蛇子型の民譚とが絡みあへば、小栗の物語の蘇生譚の部分は形づくられる訣である。
たましひ[#「たましひ」に傍線]の語原は訣らないとする方が正直なのだが、魂魄の総名が、たま[#「たま」に傍線]であるのだから、何処までも一つものとは言はれない。厳重な用語例は尠いが、比較に立てゝ言ふと、たま[#「たま」に傍線]は内在のもの、たましひ[#「たましひ」に傍線]はあくがれ出るもの、其外界を見聞することから智慧・才能の根元となるもの、と考へて居たらうと言ふ事だけは、仮説が持ち出せる。さうして其、不随意或は長い逸出などの、本人の為の凶事を意味する游離の場合に限つて、光り[#「光り」に傍線]を放つものと見た様だ。
古代人は光りをかげ[#「かげ」に傍線]と言ひ、光りの伴ふ姿としての陰影の上にも、其語を移してかげ[#「かげ
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