鎮魂祭の歌の「……みたまかり、たまかりましゝ神は、今ぞ来ませる」と言ふ文句を見ると、外来魂を信じた時代からのなごりを残したのが訣る。而も、主上の形身[#「形身」に白丸傍点]なる御衣の匣を其間揺り動すのは、此に迎へ移さうとするのである。魂の緒を十度結ぶことは、魂を固着させる為である。魂の来り触れて一つになる時だから、たまふり[#「たまふり」に傍線]と言ふので、鎮魂の字面とは、意義は似てゐて、内容が違ふのだ。「ふるへ/\。ゆらゝにふるへ」と言ふ呪言は「触れよ。不可思議霊妙なる宜しき状態に、相触れよ。寄り来る御魂よ」の意であらう。触るは、ふらふ[#「ふらふ」に傍線]・ふらはふ[#「ふらはふ」に傍線]など再活用を重ねる。ふるふ[#「ふるふ」に傍線]もふらふ[#「ふらふ」に傍線]と一つ形である。
荒魂・和魂を以て、外来魂と内在魂との対立を示す様になつてからも、其以前に固定した形の、合理化の及ばない姿を存して居た事は、鎮魂祭の儀礼からも窺はれた。更に、旅行者の為に、留守の人々がする物忌みも、此側からでなくては釈けない。牀・畳などを動かさず、斎み守るのを、旅行者の魂の還り場処を失はぬ様にするのだ、と説くのはよいであらうか。旅行者の魂の一部が、家に残つてゐるために、還つて来ても、留つた魂と触りて、其処に安住することが出来るのであつた。留守の妻其他の女性も、自身の魂の一部を自由に、旅行者につけてやる事が出来た。これが万葉に数知れずある、旅行者の「妹が結びし紐」と言ふ慣用句の元である。下の紐を結んだ別れの朝の記憶を言ふのでなく、行路の為の魂結びの紐の緒の事を言うたのであつた。着物の下|交《ガヒ》を結ぶ平安朝以後の歌枕と、筋道は一つだ。下交を結ぶのは、他人の魂を自分に留めて置くのである。其が、呪術に変つて行つたものであらう。皆、生御魂《イキミタマ》の分割を信じて居たから起つた民間伝承であつた。恰も、沖縄の女兄弟が妹神《ウナイガミ》即巫女の資格に於て、自らの生御魂を髪の毛に托して、男兄弟に分け与へ、旅の守りとさせたのと同じである。
旅行者の生御魂を、牀なり畳なり、其常用の座席に祀つたのである。それが一転して、伊勢参宮した家の表に高く祭壇を設けた、近世の東国風の門祭になつたのだ。此亦、生御魂の祀りと言ふ意味から、旅行者の魂の還りのめど[#「めど」に傍点]にすると言ふ方へ傾いて来て居る。死者の
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