小栗外伝(餓鬼阿弥蘇生譚の二)
魂と姿との関係
折口信夫

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)御母《ミオヤ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)所謂|真床覆衾《マドコオフスマ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+甫」、第3水準1−85−29]時臥山の話

 [#(…)]:訓点送り仮名
 (例)葛根《ツナネ》[#(ノ)]神(記)の

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)一つ/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一 餓鬼身を解脱すること

餓鬼阿弥蘇生を説くには、前章「餓鬼阿弥蘇生譚」に述べたゞけでは、尚手順が濃やかでない。今一応、三つの点から見て置きたいと考へる。第一、蛇子型の民譚としての見方。第二、魂と肉身との交渉、並びにかげのわづらひ[#「かげのわづらひ」に傍線]の件。第三に、乞丐と病気との聯絡。此だけは是非して置かねば、通らぬ議論になる。
べありんぐるど[#「べありんぐるど」に傍線]の「印度欧洲種族民譚様式」の第九番目の「蛇子型」では「子どもがないから、どんな物でもよい。一人欲しい」と言うた母のことあげ[#「ことあげ」に傍線]の過ちから、蛇(又は野獣)の子が授かる。其蛇子が妻なり、亭主なりを、めあはされて後、常に蛇身を愧ぢて、人間身を獲たがる。母が皮を焚いて了ふと、立派な人間になると言ふ件々を、此型の要素として挙げて居る。
私は、久しく此類話を、日本の物語の中に見あてることが出来なかつた。小栗照手の事を書き出しても、此点が思案にあまつて居た。叶はぬ時の憑み人として、南方翁に智慧を拝借しようと思ひついた際、窮して通じたと申さうか、佐々木喜善さんの採訪せられた「紫波郡昔話」が出て、其第七十五話に名まで「蛇息子」として出て居た。此には、子が欲しいと言はなかつたが、笠の中に居た小蛇を子どもと思うて育てた。授かりものと言ふ点では一つで、此方が、日本の神子養育譚には普通の姿で、申し子の原型である。人間と霊物とで、言語内容の感じ方の喰ひ違ふ話は、民譚の上では、諷諭・教訓・懲罰・笑話と言ふ側へ傾いて行つて居る。言あげ[#「言あげ」に傍線]の過を怖れ、言あげ[
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