」に傍線]と言うた。即、物の実体の形貌をかげ[#「かげ」に傍線]と言うたのである。人の形貌をかげ[#「かげ」に傍線]と言ふのは、魂のかげ[#「かげ」に傍線]なる仮貌の義である。だから、人間の死ぬる場合には、人間の実体なる魂が、かげ[#「かげ」に傍線]なる肉身から根こそぎに脱出するから、其又かげ[#「かげ」に傍線]なる光を発して去るもの、と見るより、魂の光り物[#「光り物」に傍線]を伴ふ場合にあつたりなかつたりする説明は出来ない。だから、たましひ[#「たましひ」に傍線]のひ[#「ひ」に傍点]を火光を意味すると説く事は、第二義に堕ちて居る事が知れる。
姑獲鳥《ウブメ》は、飛行する方面から鳥の様に考へられて来たのであらうが、此をさし物[#「さし物」に傍線]にした三河武士の解釈は、極めて近世風の幽霊に似たものであつた。さう言へば、今昔物語の昔から、乳子を抱かせる産女《ウブメ》は鳥ではなかつた様だ。幽霊の形を餓鬼から独立させた橋渡しは、餓鬼の一種であつた此怪物がしたのであるが、これは、姿を獲たがつて居る子供の魂を預つて居た村境の精霊で、女身と考へられてゐた。
沖縄本島では、同様の怪物を乳之母《チイオヤ》又は乳之母《チイアンマア》と呼んでゐる。幽霊になると、男までも必、女性的な姿になるのは、産女の影響を残してゐるのだ。壱岐の島人の信じてゐるうぶめ[#「うぶめ」に傍線]は飛ぶから鳥で、難産で死んだ故、此名があるとは言ふが、形は伝へて居ない。唯浮動する怪し火の事になつて居る。近世の幽霊が、提灯や面明りのやうに、鬼火を先き立てゝ居るのも、実は、魂のかげ[#「かげ」に傍線]を二重に表して居るのだ。光り物が消えて後、妖怪の姿が現れる様に言ふ話の方が、古いのである。骸を覓めて居る魂は、唯の餓鬼ばかりではなかつた。不完全な魂、村の男ともならぬ中に死んだ、条件つきでなければ生を享けられぬ魂も、預り親に無数に保たれながら、迷うて居たのである。(炉辺叢書「赤子塚の話」参照)
三 土車
謡曲以後の書き物に見える土車が、乞丐の徒の旅行具である事には、謂はれがあらう。乗り物に制約のやかましかつた時代に、無蓋の、地を這ふ程な丈低い車体を乞食の為に免してあつたのである。土搬ぶ車を用ゐさせたのかとも思ふ、が恐らく、土を大部分の材料につかうたからの名であらう。
土車に乗るのは、乞食が土着せず、旅行
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