国を慕ひ哭く荒神の慟哭の描写は、「八拳《ヤツカ》髯|胸前《ムナサキ》に垂れ云々」からが、其印象のまゝである。又、兄八十神に殺されては、復活を重ね、其都度偉大に成り整うた大国主の、母神及び貝《カヒ》姫の介添へを得た様は、全くそのまゝ誉津別皇子の物語に入つて居る。而も、此皇子の威力は、出雲大神の霊験に由つて現れることになるのだから、どうしても、上の二柱を祖神とする出雲国造家の禊ぎに由来するものなることは察せられる。而も、其出雲人の系図は、記紀何れの伝へで見ても、殆ど総べて水神――寧、水の聖役を奉仕する者として――を列ねてゐるもの、と考へられるのである。我々に伝はらない事で、出雲の神道には、喫ぎを中心とした鎮魂術の存在して居た事を示すものであらう。其上此行法に由る布教と、その由来を説く詞章とがあつたらうと言ふことが考へられる。
又一方、多遅比部の伝承とおなじものが、少なくとも三種類は見られる。幼神をとりあげ[#「とりあげ」に傍点]・養育《ヒタ》す事を説くに、やはり選ばれた「島の清水」――淡路の瑞井――と、特殊な呪法とのあつたことが窺はれる。而も歴史の記述以外に、丹氏《タンシ》の広く諸国に拡つ
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