てゐるのは、此物語を以て、儀礼の起原と威力とを盛んにした布教団のあつた事を示すものである。
偶然乍ら、誉津部の場合には、幾分其痕跡が見られる。古事記によると、皇子、出雲大神を拝みに、大和から出向かれる時、到る所に誉津部を残された由が見えてゐる。つまり、此皇子を中心にして、出雲神道の分派を、宣伝した神伶部曲が、其止る所毎に部落を構へ、又幼神養育の物語を伝へて行法を事とした痕を示してゐるのだ。
凡、かう謂つた種類の数限りない古代の宣教部曲は、その構成と方法と、旅行の形と詞章の内容とに亘つて、類型的なものを通有してゐたことは事実だつたらしいのである。
私は、此等の部曲の運動から説き起して、日本における宗教文学の内容と形式との推移を尋ねたいと考へてゐるのである。
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私は、今日この原稿を江州日野の外山に向ひ乍ら、書いてゐる。明日からの数日は、緘黙《シヾマ》の近代民なる木地屋の本貫、君[#(个)]畑・大君[#(个)]畑の山わたりして、勢州へ越える。その山道が空想らしく、極めて寂しげに浮んで来る。実は、此黙々たる山の部曲も、昔はある文芸を携へて、里人の上に唱導の影を落して過ぎた
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