線]の部分とも見るべき形で、如何にも、個性乏しいものになつて出て居る。が、又ある層に属する人々は、之を新文学における、地の文は漢文、抒情部分短歌と謂つた、奈良期の新感覚に適した様式に為立てあげて来た訣なのだ。而も、此二篇とも、旅行の印象を叙べる側に、著しく進んで来た事を示してゐる。
この様に、事件を叙述する事よりも、旅先又は旅の中途の感情を主とするのが、つまり二つの土地の聯絡と言ふことを心に持つて来たことを示して居るのである。謂はゞ後者は、古い道行きぶり[#「道行きぶり」に傍線]の形の進んだものであり、前者は、主題以外は齣毎に目的を展開する多幕劇に近づいて来てゐるのだ。だがともかくも、唱導的な意義の遺却せられない文芸として、一貫的に、その信仰の中心たる神・仏或は人の、其大を成すに到る道程の発達を意味する苦しみを語る事に力を集めて居り、其に多くの漂浪の歎きを絡まして居る。
日本古代における威力神が、常にある旅程を経て来り、而もかよわい神であつた者が、此土において、俄かに其能を発揮すると考へられた――と言ふよりも、逆にさうした信仰を生み出す習俗が行はれて居た――ところから、かうした唱導の主
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