である。其文芸の中、可なり古代的なものから見ても、さうである。譬へば、「天田振《アマタブリ》」として、大歌――宮廷詩――に採用せられたものに就いて見ても、さうである。啻《ただ》に謫流地の伊予と、元の地なる都との間における事件を述べるに止めずして、尊い女性が、思ひ人の後を追うて漂浪する風に語りひろげる様にすらなつてゐる。旅行の主題に添うて物語られる事によつて、次第に旅の気分が深まつて来てゐるのである。譬へば又、「天田振」の、やゝ文学的要素の濃度を加へたと思はれる、石上乙麻呂《イソノカミノオトマロ》の土佐流謫事件を謡うた万葉集所収の小長歌にしても、さうである。乙麻呂自身の心に浮んで来るはずのない様な叙述の詞章の心の底には、先行して行はれた天田振が流れてゐるのである。而も之を、幾種かの類型を間に立てた中臣宅守・茅上[#(ノ)]郎女の相聞歌と比べて見ると、其が文学意識を濃厚に持つた極めて長い連作短歌の集団と言ふ特殊な形をはつきり出してゐる。其は一方にかうした二つの事件を表現する上において、幾様かの同時代の相が見られるのだとも言へよう。即、ある層においては、古物語の中の、くどき[#「くどき」に傍
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