わかつて来る。秣と称して、実は馬に扮した人の纏頭となる物が与へられたのでもあらうか。が古くは、やはり想像にも能はぬ事だが、馬糧の草籠の類が用ゐられたのであらう。「蒭」は、ひくさ[#「ひくさ」に傍線]ではあるが、秣・※[#「くさかんむり/坐」、第4水準2−86−26]の様に、まくさ[#「まくさ」に傍線]とは訓まれないのが本道だ。馬糧にも使ふが、用途は外にもあつた。諏訪社には祭礼に廻る木並びに其他の地物があつた。此を「湛《タヽヘ》」と称へてゐる。此解釈も区々だが、大体において、神長官の順廻する所なのは、確かだ。其一つに「ひくさ湛」と言ふのゝあるのは、やはり蒭に関したものなのではないかと思ふ。かうして、主たる目的の家に達すると、賓客の外出入り禁断の中門で、最力のこもつた芸能を、演じなければならなかつた。其為こそ、後世ちらばら[#「ちらばら」に傍点]になつた諸国の田楽でも、凡皆「中門口」と称する曲目は、名だけでも失はず居た。此が田楽の「能」として、俤を残したと思はれるのは、名だけ伝つた「熱田春敲門の能」と称するものである。此中門は、外廓の門を入つて、更に内庭に入らうとする所にあつた。宮殿と後に
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