言ふ「寝殿」へ通る入り口である。群行神なればこそ、中門を入らうとして此口において、芸を奏したのである。万葉巻十六の「乞食者詠《ホカヒビトノエイ》」の「蟹」の歌に、「ひむがしの中の御門ゆ参《マヰ》入り来ては……」とあるのは、祝言職者の歌である為、中門口を言うてゐるのである。後には、中門も、東西に開き、泉殿《イヅミドノ》・釣《ツリ》殿を左右に出す様に、相称形を採る様になつたが、古くはどちらかに一つ、地形によつて造られて居たものと思はれる。だから場合によつては、南が正面にも、北が其になる事も、あつたであらう。又、宮廷の如きは、四方の門を等しく重く見るのが旧儀であつて、其が次第に、南面思想に引かれて行つたものらしい所を見ると、宮廷内郭の玄輝門或は、其正北、外廓に当る朔平門に関して考へねばならぬ。其北の最外郭にあるのは、古くから不開御門《アケズノミカド》と呼ばれた偉鑒門《ゐかんもん》である。即、正南門の朱雀門に、対当する建て物であつた。彼通称を得た理由としては、花山院御出家に際して、此門から遁れ出られた事の不祥を説いて居るが、此は民俗的な考へ方だけに、史実でない事が思はれる。
北御
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