して、写真を思い出して見ると、弥陀の腰から下を没している山の端の峰の松原は、如何にも、写実風のかき方がしてあったようだ。そうして、誰でも、こういう山の端を仰いだ記憶は、思い起しそうな気のする図どりであった。大和絵師は、人物よりも、自然、装束の色よりも、前栽の花や枝をかくと、些《すこ》しの不安もないものである。
私にも、二十年も前に根来・粉川あたりの寺の庭から仰いだ風猛《かざらぎ》山一帯の峰の松原が思い出されて、何かせつない[#「せつない」に傍点]気がした。滝や、紅葉のある前景は、此とて、何処にもあるというより、大和絵の常の型に過ぎぬが、山の林泉の姿が、結局調和して、根来寺あたりの閑居の感じに、適して居る気がするのではなかろうか。
さて其後、大倉集古館では、何ということなく、掛けて置いたところが、その地震前日の紳士が、ふらりと姿を顕《あらわ》して実は之を別の処に出して置いて、静かに拝ましてくれというたのは、自分だったと名のるという後日譚になり、其が、籾山さんだったという事になって、又一つ不思議がつき添うて来る、ということになるのだが、此とても、ありそうな事が、狭い紳士たちの世間に現れて来
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