ある。
併し日本の近代の物語の上では、此|仄《ほの》かな記憶がとりあげられて、出来れば明らかにしようと言う心が、よほど大きくひろがって出て来て居る。旅路の女の数々の辛苦の物語が、これである。尋ね求める人に廻りあっても、其とは知らぬあわれな筋立て[#「筋立て」に傍点]を含むことが、此「女の旅」の物語の条件に備ってしもうたようである。
女が、盲目でなければ、尋ねる人の方がそうであったり、両眼すずやかであっても行きちがい、尋ねあてて居ながら心づかずにいたりする。何やら我々には想像も出来ぬ理由があって、日を祀る修道人が、目眩《めくるめ》く光りに馴れて、現《うつ》し世《よ》の明を失ったと言う風の考え方があったものではないか知らん。
私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、何時か自《おのずか》ら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに気づいて、思いがけぬ事の驚きを、此ごろ新にしたところである。
山越しの阿弥陀像の残るものは、新旧を数えれば、芸術上の逸品と見られるものだけでも、相当の数にはなるだろう。が、悉《ことごと》く所伝通り、凡《すべて》慧心僧都以後の物ばかりと思われて、優れた作も
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