謂う……。こうある。
何の訣《わけ》とも知らず、社日や、彼岸には、女がこう言う行《ぎょう》の様なことをした。又現に、してもいるのである。年の寄った婆さまたちが主となって、稀《まれ》に若い女たちがまじるようになったのは、単に旧習を守る人のみがするだけになったと言うことで、昔は若い女たちが却《かえっ》て、中心だったのだろうと思われる。現にこの風習と、一緒にしてしまって居る地方の多い「山ごもり」「野遊び」の為来《しきた》りは、大抵娘盛り・女盛りの人々が、中心になっているのである。順礼等と言って、幾村里かけて巡拝して歩くことを春の行事とした、北九州の為来りも、やはり嫁入り前の娘のすることであった。鳥居を幾つ綴って来るとか言って、菜の花桃の花のちらちらする野山を廻った、風情ある女の年中行事も、今は消え方になっている。
そんなに遠くは行かぬ様に見えた「山ごもり」「野あそび」にも、一部はやはり、一|个《か》処に集り、物忌みするばかりでなく、我が里遥かに離れて、短い日数の旅をすると謂う意味も含まって居たのである。こう言う「女の旅」の日の、以前はあったのが、今はもう、極めて微かな遺風になってしまったので
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