ありながら、何となく、気品や、風格において高い所が欠けているように感じられる。唯如何にも、空想に富んだ点は懐しいと言えるものが多い。だが、脇立ちその他の聖衆の配置や、恰好《かっこう》に、宗教画につきものの俗めいた所がないではないのが寂しい。何と言っても、金戒光明寺のは、伝来正しいらしいだけに、他の山越し像を圧する品格がある。其でも尚、小品だけに小品としての不自由らしさがあって、彫刻に見るような堅い線が出て来ている。両手の親指・人さし指に五色の糸らしいものが纏《まと》われている。此は所謂《いわゆる》「善の綱」に当るもので、此図の極めて実用式な目的で、描かれたことが思われる。唯この両手の指から、此画の美しさが、俄《にわ》かに陥落してしまう気がする。其ほど救い難い功利性を示している。此図の上に押した色紙に「弟子天台僧源信。正暦甲午歳冬十二月……」と題して七言律一首が続けられている。其中に「……光芒忽自[#二]眉間[#一]照。音楽新発耳界驚。永別[#二]故山[#一]秋月送。遥望[#二]浄土[#一]夜雲迎」の句がある。故山と言うのは、浄土を斥《さ》しているものと思えるが、尚意の重複するものが示さ
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