《コシラブ》など言う村があって、水の手がよいと見えて、谷から可なり高い処に、田地が多く作られて居る。稲は相当に伸びているのに、苗代田はまだ水を張ったまま、豆も作らずにある。豆で思い出すが、此畠を荒すと謂われている郭公が、まだ時季《シュン》は過ぎないのに、初めから鳴いた事がない。此辺の山間に居ないのか知ら。
時鳥は、其も時々だが、宿の前の右に山を負うた杉林の中で極って鳴く。忍び音と言うやつ[#「やつ」に傍点]で、非常に声が小く、節が細かく聞きなされる。鶯ばかり居て、其外は、何の鳥も鳴かぬような山である。其ももう今になると、谷渡りなどは、あまり高音を揚げることが出来なくなっている様だ。山の傾斜《ナゾエ》や、少々坦らになったところなどは、大抵、篶竹が深く茂って居る。そんな中に籠って鳴いて居るのは、何処へ行っても、鶯の癖と見える。山へ来た当座は、毎日篶竹の笋《タケノコ》が膳について来た。其中出なくなった。聞いて見ると、もう長《タ》け過ぎて歯に合わなくなったのだと言う。山では、昔から此地竹の笋を喰べて居たのに不思議はない。其が罐詰になって町場へ出るようになったのは、まだ十年にもならないことである
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