棟を数室にしきった家族風呂を建てて居た。こう言うのをすくのが、此頃の客人気質かも知れぬが、宿屋の為に気の毒な気がした。
下関の村は、月六斎《ツキロクサイ》の市日の一つに当る日で、賑うて居た。軒並び覗いて見ても、隅々までも都会化した品物ばかりが並んでいる。目につく物は、凡てぶりき[#「ぶりき」に傍線]か、せるろいど[#「せるろいど」に傍線]である。なるほど、所謂げて[#「げて」に傍点]物が骨董並みに考えられる訣だと思う。もう山もここまで来ると、余程開けて、阪町までは、一続きと言う気がする。
ことしはどう言う訣か、何処へ行って尋ねても、山は岩魚のとれない処が多かった。やまめ[#「やまめ」に傍点]や、かじか[#「かじか」に傍点]すらあまり喰わしてくれる処がなかった。白布も高湯まで来ると、川が細って居るが、それでも岩魚は、始中終とれて来た。尤、稀に大きいのがついて来るのを、「此川のですか」と問うと、きっと外処《ワキ》の川から来たものだとの答えであった。小形《コブリ》だけれど、ころも[#「ころも」に傍点]を掛けて揚げたりしたのは、却てよかった。湯場から一里もさがると、大白部《オオシラブ》・小白部
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