つた書き方にあふと、読者は正直に、自分の小説よりも、作者の小説の意表に出る点を感じるのではないか。だが要するに、色々な放浪味のある旅に寄せた散文詩篇数種を集めたものである。何より、その英詩を思はせる清楚と謂はれる筆あたりが、人を引きつけたのである。あんな短篇をかれこれ言ふのは、故人に対しても申し訳ない事だし、亦そんなことを問題にしようとするのではないのだが、あれでは、旅の気分における詩に過ぎない。もつと徹したものがないことには、旅の作品に、旅の主題が出て来ないものである。
日本には、近代頗「紀行」文が行はれて、文学に志あるとないとに繋らず、大抵の人は、此を書かないことはないほどである。其だけに早く型のやうなものが、人々の心々を支配して居る。其型らしいものは、土地の味も、人の心も見ない。まして旅行者自身の心の推移などには、貪著を持たないやうな書きぶりをすることである。謂はゞ叙事一遍に過ぎない。近代の紀行は、殊に漢文学徒の書いたものを目において居る。だから、游……記、……紀行など言ふ文章が持つて居る叙事気分を外にしては、書けなかつたのである。
旅の日記に哀愁の漲つて居るのは、恐らく若山氏の
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング