人間感を飛躍してしまふやうな事になるのではないかと思ふ。
併し、あゝした切ない気持ちをぢつと持つて歩いて居ると言ふことは、此上ない張りつめたものである。感傷と謂へば感傷ではあるが、みじめながら、小いながらひとりの気持ちを、謙虚に、而も張り裂けるやうに持ちながら、とぼ/\と歩いて居るのだ。
木の葉のさやぎも、草原の輝きも、水の湍《タギ》ちも、家と家とのたゝずまひも、道の迂《ウネ》りも、畠や田の交錯して居るさまも、一つ/\心にしみ/″\ととりこまれて行く。
私が旅をしても、この頃、世間の所謂低山ばかりを歩いて居るのは、一つはさうしたやるせないものから身をかはさうと言ふ気があるに違ひない
國木田氏の書き物に執した人々の間には、「忘れ得ぬ人々」と言ふ短篇が、よく話題になる。あれは、題目がまづ、人々の聯想を活溌にはたらかす。読む以前既に、読者の書く小説が、めい/\の心を唆るのである。其から、その小説と、獨歩の書いてゐることゝが、方向を一つにするものにあふと満足を感じる。ところが、國木田氏の一つの新しさでもあり、真の新しさではないが、――反語的な考へ方・物言ひが、聴く人々の心を、うつちやる。さう謂
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