字だけしか無かつた。何代目かの五郎左衛門が、放蕩から此宝物を質屋の庫に預け、後に此を受出して見ると、南の一字が消えて了うてゐたので「南《ナ》ぬけの御名号《ミミヤウガウ》」と称して、恐しく神聖な物と考へられて居た。近年はどういふ折にも見せぬ様になつた。
四 算勘の名人
此は何処からどうして来た人とも、今以て判然せぬが、安政の大地震の時の事である。大阪では地震と共に、小さな海嘯《ツナミ》があつて、木津川口の泊り船は半里以上も、狭い水路を上手へ、難波村|深里《フカリ》の加賀の屋敷前まで、押し流されて来た時の話である。木津の唯泉寺《ユヰセンジ》(大谷派)の本堂が曲つて、棟の上で一尺五寸も傾いた。其節誰かゞ十露盤《ソロバン》の名人と云ふ人を一人連れて来て、此を見せると、即坐に、此堂を真直ぐにしよう、と請合うた。さて、自分が堂の中で為事をしてゐる間は、一人も境内に居てはならぬ、と戒めて置いて、自分一人中に入り、門を鎖《シ》め、本堂の蔀《シトミ》までも下して、堂内に静坐し、十露盤を控へて、ぱち/\と数を詰《ツ》めて行つたさうだ。すると、段々、其が熟して来たと見えて、外から見てゐると、ぎ
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