道の紀州海道は行かないで、わざ/\海岸を迂回して、御旅所に達する。此は、神明の社が紀州海道に面してゐる(宿院行宮も同様海道に面し、神明社の南十町ほどに在る)ので、神明様の怨まれるのを恐れて、避けられるのだと言ふ。此日、朝日明神の社では、住吉の神輿が新大和川を渡つて、堺の町に這入られるから、宿院に着かれるまで、太鼓をうちつゞけに打つ事になつてゐる。此は、神明様の嫉妬・怨恨の情を表象するものだと伝へる。
       三 南《ナ》ぬけの御名号《ミミヤウガウ》
木津には、七軒の旧家があつた。願泉寺門徒が、石山本願寺の為に死に身になつて、織田勢と戦つた功に依つて、各顕如上人から苗字を授けられたと伝へ、雲雀のやうに、空まで舞ひ上つて、物見をしたので雲雀《ヒバル》、上人紀州落ちの手引きをして、海への降り口を教へた処から折口《ヲリクチ》、其節、莚帆を前にして、匿して遁げたのが莚帆《ミシロボ》だなどゝ云ふ話を聞かされてゐた。
其中の雲雀氏は、代々の通称が五郎左衛門で、其苗字の外に、六字の名号を布に書いたのを頂戴して、永く持ち伝へ、家に法事のある毎に、人に拝ませてゐたが、此御名号には唯「無阿弥陀仏」の五
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