元祖以来の霊の、村へ戻つて来るのが、年改まる春のしるし[#「しるし」に傍線]であつた。
其が後には、仏説を習合して、七月の盂蘭盆を主とする様になつた。だが、其以前から既に、秋の御霊迎《ミタマムカ》へは、本来の春の霊祭《タマヽツ》りに対照して、考へ出されてゐたのであつた。常世神の来訪を忘れて了ふ様になると、春来る御霊《ミタマ》は歳神《トシガミ》・歳徳様《トシトクサマ》など言ふ、日本陰陽道特有の廻り神になつて了うた。さうして肝腎の霊祭りは秋が本式らしくなつた。坊様に、棚経を読んで貰はねば納らぬ、と言つた仏法式の姿をとつて行つた。
極《ゴク》の近代まであつた、不景気の世なほしに、秋に再び門松を立てたり、餅を搗いたりした二度正月の風習は、笑ひ切れない人間苦の現れである。が、此とて由来は古いのである。ことし[#「ことし」に傍線]型の暦はわるかつたから、こそ[#「こそ」に傍線]型の暦で行かうと言ふのである。
だが、其一つ前の暦はことし[#「ことし」に傍線]だけであつた。さう言ふ一年より外に、回顧も予期もなかつた邑落生活の記念が、国家時代まで、又更に近代まで、どういふ有様に残つてゐたかを話したい。
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