は繰り返しであると言ふ信仰のあつた事は、疑ふことの出来ぬ事実だ。ひよつとすると、其頃になつて、暦の考へが此様に進んで来たのかも知れぬ。
去年《コソ》と今年《コトシ》とを対立させて居たのである。其違つた条件で進む二つの年が、常に交替するものとしてゐたと言うても、よさゝうである。此暦法の型で行けば、ことし[#「ことし」に傍線]とをとゝし[#「をとゝし」に傍線]のこそのとし[#「こそのとし」に傍線]は、をとゝし先の年[#「をとゝし先の年」に傍線](万葉)のくり返しである。完全に来年・再来年を表す古語の、出来ずじまひにすんだ古代にも、段々、今年のくり返しは再来年、来年は去年の状態が反覆せられるものとの考へが、出て来てゐたかと思ふ。
其が又、一年の中にも、二つの年の型を入れて来た。国家以後の考へ方と思ふが、一年を二つに分ける風が出来た。此は帰化外人・先住漢人などの信仰伝承が、さうした傾向を助長させたらしい。つまり中元の時期を界にして、年を二つに分ける考へである。第一に「大祓へ」が、六月と十二月の晦日《ツゴモリ》に行はれる様になつたのに目をつけてほしい。遠い海の彼方なる常世《トコヨ》の国に鎮る村の
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