した古代が遺つてゐる。稀には、那覇の都にゐた為、生き詮《カヒ》なさを知つて、青い顔して戻つて来る若者なども、波と空と沙原との故郷に、寝返りを打つて居ると、いつか屈托など言ふ贅沢な語《ことば》は、けろりと忘れてしまふ。我々の先祖の村住ひも、正に其とほりであつた。村には歴史がなかつた。過去を考へぬ人たちが、来年・再来年を予想した筈はない。先祖の村々で、予め考へる事の出来る時間があるとしたら、作事《サクジ》はじめの初春から穫《ト》り納《イ》れに到る一年の間であつた。昨年以前を意味する「こそ」と言ふ語は、昨日以前を示す「きそ」から、後代分化して来たのであつた。後年《アトヽシ》だから、仮字遣ひはおとゝし[#「おとゝし」に傍線]と、合理論者がきめた一昨年も、ほんとうはさうでない。をとゝし[#「をとゝし」に傍線]の「をと」には、中に介在するものを越した彼方を意味する「をち」と言ふ語が含まれてゐるのだ。去年の向うになつてゐる前年の義で「彼年《ヲチトシ》」である。一つ宛隔てゝ、同じ状態が来ると言ふ考へ方が、邑落生活に稍歴史観が現れかける時になつて、著しく見えて来る。祖父と子が同じ者であり、父と孫との生活
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