て洗ふ水になつた。初春の日には、常世から通ずるすで水[#「すで水」に傍線]が来る。首里朝時代には、すで水[#「すで水」に傍線]は、国頭の極北|辺土《ヘヅ》の泉まで汲みに行つた。其が、村の中のきまつた井にも行くやうになり、一段変じて家々の水ですます事にもなつた。此が日本の若水で、原義は忘れられて、唯繰り返すばかりになつた。家長或はきまつた人が汲むのは、神主格になるのである。又、若水を喚ぶ式もあつた。常世の国から通ふ地下水である。だから、常世浪は皆いづれの岸にも寄せて、海の村の人の浜下り、川下りの水になる。
但、神が若水を齎すのは、日本では、臣になつた神が主君なる神の為にであつた。島の村々の中では、或は五穀の種の外に、清き水をも齎し、壺のまゝ漂したこともあらう。沖縄の島では、穀物の漂著と共に、「うきみぞ・はひみぞ」の由来を説いてゐる。此も常世の水が出たのである。人が呑むと共に、田畠も其によつて、新しい力を持つのだ。
すでる[#「すでる」に傍線]ことの出来る人は、君主であつた。日本にも母胎から出なかつた神は沢山あつた。いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]檍原《アハギハラ》で祓への為にすで
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