対しては同待遇だつたのだ。其為、同じ語も生者に対しては「くり返す」ことになるのである。此が時代の進むに連れて若返る事になる。そして其霊力の本は食物にあつた。即、呪言のほ[#「ほ」に傍線]を捧げるのである。
中臣天神寿詞には、天つ水と米との事が説かれてある。米の霊と水の魂とが、天子の躬に入るのであつた。此がをつる[#「をつる」に傍線]のであり、若返る意になる。誄詞に用ゐられると、蘇生を言ふ。正月の賀正事にも、氏[#(ノ)]上はほ[#「ほ」に傍線]を奉つて寿する。氏々を守つた此ほ[#「ほ」に傍線]の外来魂を、天子が受けて了はれるのである。天子は氏々の上に事実上立たれたわけだ。
降伏の初めの誓詞も、此寿詞である。処が、をつ[#「をつ」に傍線]と言ふ語が、段々健康をばかり祝ふ様になつて、年の繰り返しを言ふのを忘れて行つた。飯食に臨む外来魂をとり入れる信仰から、よるべの水[#「よるべの水」に傍線]の風習も出て来る。魂と水との関係である。人の死んだ時水を飲ませるのも、此霊力観が段々移つて行つたのだ。死屍に跨つてする起死法も水のない寿詞だ。唯身分下の人の為にする方式だつたのだ。
呑む水の信仰が、従つ
前へ
次へ
全43ページ中31ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング