であつたとしても、其は全く意味のない努力になる。唯古語は近世又は中世以前の語であり、当然詩語としても生ひ先短い語である――人は詩語を第一国語にひき直してみて、或はすでに滅びた語として見ることがある。それは誤りであると共に、生命のわれ/\と強くつながつてゐる現代語が、詩語としての生命を失つた場合には、目もあてられないものとなる。それは言ふまでもなく、第一国語に還元するからである。或は初めから詩語として用ゐられずに、対話の中のごろた石・丸太棒として転がつてゐるに過ぎないからである。私などは、今の作者の中、最古語を使ふ者の内に這入る者である。併し私にとつては、古語は完全な第二国語である。私らの場合はむしろ外国語に持つ感覚に似たものを、古語に感じてその連接せられた文章の上に、生命を托してゐるのである。
外国語は全体としては、われ/\と生命のつながりは、非常に乏しい。併し乏しいだけに、――切つても切れない、でも其を強ひても断絶させて行かなければ、生命ある表現の出来ないと言ふ国語の系統や、類型から離れた表現が期待せられる。古語の場合も其に似て、近代語の持つ平俗な関連や、知識を截り放してしまふ事が出
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