来る。それだけに、親しみの点に於ては、われ/\の今使つてゐる第一国語と一つゞきである祖先語だが、特別な語学的教養のある人以外には、まるきり外国語と同じものである。だから又、現在の語と関係のない古語である程、そこに効果が出る訣だ。唯言語の一部分に於て、われ/\の知つてゐる中世語或は古語の結びつきを見る事もある。時としてはその単語全体が、読者にとつては唯祖先語であると言ふだけの親しみを感じさせるに過ぎないものもある。さういふ古語が、平俗な国語文体の中にちらばらとはめ込まれてゐるところから、一様に凡庸な国語と感ぜられ、古語の持つてゐるえきぞちつく[#「えきぞちつく」に傍点]な味すら受け容れられない場合のあるのが、最非難せられるのである。
現在の詩壇の有様を見ると、ある部分まで、作家たちの詩は、日本語を忌避してゐる様に見える。考へのある人は、自分の用ゐる語が、日本語的な印象を与へ過ぎる事を嫌つてゐる様にも見える。日本語が平俗だと考へてゐる以上に、外国語の持つてゐる様な陰翳を自在に浮べる事の出来ないのを悪《にく》んでゐるのであらう。だから何のための詩語か。結局凡庸な表現力しか持たない日本語では
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