徴詩人のよい糧となって行った。けれども多くの詩篇は、あまり表現の手馴れた、日本的のものになりすぎていて、どうかすると、平明な抒情詩ででもある様に見えたのであった。三木露風氏・北原白秋氏その他の人々の象徴詩と言われたものも、だから上田氏式な象徴詩の理会に立って出来たものであった訣《わけ》である。だがそれでいて、誰も満足はしていなかった。おそらくこのほかにまだ象徴詩の領分があるのだろうと思っていたらしい事は、考えられる。何よりも讃《たた》うべきは、若い時代にすぐれた感受を持った詩人たちの多かった事である。その後四十年、日本詩壇では、其昔詩の若かった時代のままに、象徴詩は栄えている。此間に、われわれが眺めていた象徴詩の動きはどうだったろう。詩人たちはあまり日本化せられた象徴詩が、泰西の象徴詩と縁遠くなっている事を感じた。これを救うには、詩語或は詞章の文体に限って、ふらんす[#「ふらんす」に傍線]其外の象徴派詩人のもつ言語・詞章そのままにしたてるほかはないと考えた。日本語を欧洲の文体にすると言う事は、詩自身ふらんす[#「ふらんす」に傍線]語・どいつ[#「どいつ」に傍線]語その外の語で書くと言う
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