に傍線]語に翻訳して見て初めて理会したことのあったと言う逸話すら、残っている位である。併し今考えれば、これは笑い事ではない。象徴なれのしていなかった日本語が、蒲原氏の持った主題をとどこおりなく胎《はら》む事の出来る筈はない。その後やがて、少しずつ象徴表現になれた国語は、幾つかの本格的な象徴詩を生み出した。そう言う今日になって見れば、今の国語が、ある点まで象徴性能を持つようになった形において、昔の蒲原氏・薄田氏等の象徴詩を、作者自身、企図に近く会得するようになって来たのである。国語になじまない象徴詩の精神を、こなれのよい国語の排列の間に織り込もうとする人が、どうしても出て来なければならなかった。上田敏さんは、多くの象徴詩篇を翻訳して、「海潮音」を撰《せん》したのである。これが、日本象徴詩の早期に於ける美しいしあげ[#「しあげ」に傍点]作業であった。全くの見物にすぎなかったわれわれの見る所では、本道に象徴と言う事を人々が理会したのは、これからの事だった。物訣《ものわか》りのよい当時の評論家角田浩々歌客すら、象徴と、興体の詩とを一つにしていた時代である。上田氏の為事《しごと》は、多くの若い象
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