ゆる》象徴詩人の象徴詩に現れた言語の、厳格な意味における象徴性と言うものは、実際蒲原有明さんの象徴詩の試作の示されるまでは、夢想もしなかったことだった。私はまだ覚えている。そうした、氏の何番目かの作物に、「朝なり、やがて濁り川……」(後、「朝なり、やがて川筋は……」と言う風に改ったと覚えている)をもって始まる短篇の発表のあった時、我々の心はある感情の籠《こも》ったとよみを挙げた、あの感動の記憶を失わないでいる。ただ一種の心うごき――楽しいとも不安なとも、何とも名状の出来ぬ動揺の起ったものであった。もっと我々が静かに思い見る事が出来たのだったら、日本語が全く経験のない発想の突発に、驚きのそよぎを立てていたかも知れないのである。それでも、蒲原氏、ひきつづいて薄田泣菫さん以下の人々の象徴詩に、相当にわれわれにも理会の出来るものが現れた。それを今くり返して見ると、そう言うのは、多くは、譬喩《ひゆ》詩に過ぎなかった。われわれは、譬喩詩の持っている鍵をもって、象徴詩を開いたものと思い違えていたこともあったのである。その当時上田敏さん等の仲間で、蒲原氏の創作詩の解き難い部分をふらんす[#「ふらんす」
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