て、早くから「くちづけ」と言い始めて来たが、此も無い言葉で、寧《むしろ》、「くちぶれ」とでも言うべきところであった。王朝まで溯《さかのぼ》る事の出来る用語例は、「くちをすふ」と言うのもあり、もっと適当な古今に通じた言い方は、「くちをよす」或は、「くちよせ」であった。こういう風に、古語の不|穿鑿《せんさく》と、造語欲から出来たものもある。山脈を「やまなみ」と言う事は、後に短歌にも広く用いられるが、やはり詩が初めであろう。これも言葉通り山のならび、つづいている峯《みね》を言うので、山脈に当る言葉ではなかった。これは成程勘違いをしそうな言葉である。これと同じ意味に於て、特殊な外国語を使ったり、仏語《ぶつご》や東洋語を用いたりして、詩語の範囲は拡げられた。象徴派以前からも此風は盛んであったが、有明・泣菫氏以後甚しくなった時期がある。言語の異郷趣味[#「異郷趣味」に傍点]を狙った点に於て、古語も外国語も一つであった。
一方破調の詩が盛んになって、むしろ定型によらない事が原則である様になって来たが、特殊な詩語は絶えては居ない。この破調の詩の行われる動機になったものは、小説に於ける自然主義の流行であ
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