むしろ宗教的な一種の儀礼である。無言の行とも言うべき事であり、時としては黙戯を意味してもいる。併しそう言う私自身すらも、沈黙・静寂などの方が正しい第一義である様に感じる程、詩には使い古されて来た。
「あこがれ」この言葉も明治の詩以来古典の用語例が拡げて使われた。これは「あくがれ」という形もあるのであるが、詩語として承《う》け渡した詩人たちは「こがる」と言う焦心を表す語に、接頭語あ[#「あ」に傍線]のついたものと感じた為に、「あこがれ」の方ばかり使った。これは、王朝に著しく見える語で、霊魂の遊離するを言った。自然、それほどひどく物思いする場合にも使っている。だから、詩語としての用法は恋愛的に柔かになっているが、特殊な意味を失っている。憧憬という宛て字は、半ば当っている。
象徴派風の表現が勢を得てから、「えやみ」(疫)だとか「すゆ」(饐《す》ゆ)など言った辛い聯想《れんそう》を持った言葉が始終使われた。そうかと思うと、近代感覚を以て、古語にない言葉を作ったのもある。運命、宿命などに「さだめ」と言う全く一度も使った事の無い語を創造した。西洋的な情熱を表す必要から、接吻なども、国語で表そうとし
前へ 次へ
全30ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング