べきものは整理しながら、やはり昔の象徴詩家が古語によせた情熱と同じものを、今の詩壇の人々の詩語や、文体の上に散見する事が出来る。象徴的な効果のある、言わばてま[#「てま」に傍線]の代表とも言うべきものだから、それを離れては作物が意味を失うと考えられているのである。私どもが詩を読み始めてから、そうした幾百千の語を送迎したか、数え立てる事も出来ない。又作家自身も、それ程までの効果を考えずに、ただの言葉に対する情熱から使い捨てたと言うものも多かった。もし啓蒙的《けいもうてき》な新詩|語彙《ごい》と言うようなものが出来れば、そういう言葉を多く見出し、それらの言葉の中から、明治以後の詩人がどう言う言葉を好み、どういう傾向に思想を寄せていたかと言う事が、手取早く見られると思う。
久しく用いられている語を少しあげてみると、「しじま」これに、沈黙・静寂など漢字を宛てて天地の無言・絶対の寂寥《せきりょう》など言った思想的な内容までも持たせているが、われわれは詩の読者として何度この言葉にゆき合うたか。併し辞書などには、それに似た解釈をしているとしても、其は作家が辞書から得た知識だからである。古い用法では、
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