表現しようとしたが、単なる直訳らしく見えるものを避けようとしている。而も短歌にすら其があった。名高い「佐保神の別れ悲しも。来む春に またも逢ふべき我ならなくに」、日本神話の立田媛・佐保媛、その春の女神なる佐保媛を指すものとして古典的に感ぜられて来ているが、それはそういう風に、子規の全作物を整頓《せいとん》しての考えで、彼の詩を照し合せて見ると、やはりみゅうず[#「みゅうず」に傍線]やぶぃなす[#「ぶぃなす」に傍線]をそういう風に言い表しただけであった。
明治十年・二十年代に安定の出来なかった新体詩の様式に対する感覚は、三十年に入ると同時に、ほぼ到達点を見る事が出来た。それは空想に耽《ふけ》っただけの西洋詩の様式や、我が国でこと古りた今様や、長歌の様式ではなかった。まず思想があって表現を駆使すると言う考え方と結果においては、同じであった。まず語あって、其所に内容が生ずると言った行き方を、自らとって居たのである。その語は外国語を以てするのでない限り、――又それは出来る事ではないのだから――民族的な思想内容の深い様に感ぜられる、整頓し理想化した古語及び古語の排列からなる文体が、このときになっ
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